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2010年1月26日 (火)

調布と三鷹の深大寺(1・5)

「調布の三鷹の深大寺⑴」としてブログを書いたのだけど、あれこれ操作していたらウェブページの方にアップされてしまった。グーグルで検索してみても出てこない。どこへいってしまったのか。ブログの方に移したいのだが、やり方がわからない。親切な人がいたら教えてください。使っているのはimac
です。

全文をまた打てばいいのだけど大変なのでダイジェストをしてから⑵に続けます。

亨保の改革で武蔵野には新田開発が奨励された。これに応じたのが調布の深大寺絵堂に住んでいた井上兄弟。2家族で開墾に従事、元文4年頃までは2戸だけだったが、文政の頃には白鳥、嶋田氏などが移住してきて14戸になったという。これにより地域の名前も深大寺になった。正しくは深大寺新田と呼ばれたのか。

ここにある神社が御嶽神社。深大寺の別当、多聞院から井上氏が勧請したものだ。それにしても当時のこの辺りは一面の原っぱか雑木林。川も流れていない。つるべ井戸を掘ったのだろうが、大変な苦労をしたのだろう。

ちなみに新田奨励は亨保7年(1722)、元文4年は1739年。文政は1818年ごろ。よくぞ耐えたものだ。

昭和の20年代には、いまの連雀通りに用水が流れていた。武蔵野日赤病院の南側の通りの歩道が広いのは用水に蓋をして歩道にしたせい。これが上連雀塚の手前で右折、いまの井口コミュニティセンターの東側を流れていた。村の名前でいえば井口と野崎、深大寺新田は、この用水を分けてもらっていたのだろうか。

そんなわけで「調布と三鷹の深大寺⑵」は井上兄弟のルーツ深大寺絵堂を訪ねる。

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